嫁ちゃんのぶろぐ

この歳にして葛藤の日々となりました…情け無い。

3・11

もうかなり前の記事になるかな?

昨年11月くらいの記事かも知れないな。

 

そこで少しだけ触れましたが、

嫁はその昔、毎日お仕事で六本木ヒルズへ通勤しておりました。

 

 

もちろん、3・11。

 

東日本大震災当日も嫁は六本木ヒルズにおりまして。

ジャストタイム。

職場で大震災と遭遇しました。

 

 

六本木ヒルズ超高層ビル故に旋回するような揺れに困惑する中、

普段全く使われる事の無い階段を、

駆け下りる足音の騒々しさを覚えています。

 

先輩が窓の外を見ながら、

 

「東京タワーが折れた!」

 

そう叫んだ声を今も鮮明に思い出します。

 

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「帰れるうちに、早く帰って!」

 

お偉いさんは指示してくれたけれど、

 

帰宅するにも地下鉄がストップしてしまい、

嫁は途方に暮れてしまいました。

 

何となく避けていた窓の外の様子をを自分でも確認したくなり。

 

そこに見えたのは…

ゾロゾロと延々に続く帰宅難民の列。

 

「ここは戦場なのだろうか?」

 

空襲を受け路頭に迷う。

子供の頃に絵本で見た風景のそれ。

それに似た風景が嫁の目に飛び込んで来たのです。

 

嫁は難しい事はいい歳した今もわかりませんが、

「日本は戦争の無い国で良かった」

漠然と思いながら生きてきた訳で。

まさか自然災害で、こんな戦争さながらの惨事を自分の目で見て体験するなんて、

全く微塵も考えていませんでした。

 

でも、起こってしまったんですよね。

 

テレビでは津波で街が崩壊する映像が延々と流され、

明けて翌日、仕事に行こうにも手立てが見付からない中、

「震災は言い訳にならない。すぐ出て来て!」

叱咤され途方に暮れたり。

 

何とか仕事に行き帰っても、

停電で信号も家の中も真っ暗。

食べる物も飲み水にも困窮する毎日。

 

……そんなことを思い出しています。

 

 

やっぱりこの出来事は、

嫁の中で大きなターニングポイントとはなりました。

あまり意識した事は無かったのですが、

『人は1人で産まれて、1人で死ぬ』

みたいな事を思いました。

 

 

 

そしてまた新たなる困難が起きている現在。

こんなに自分の中にあった普通が普通では無くなる生活が複数回も起こるなんて…

と、今再び考えています。

 

 

 

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今日は気持ちの良いお天気。

名前を覚えたばかりのミモザ

綺麗に咲いています。